11/27/2024

令和6年11月24日支部登山でした、、、が

支部登山に参加してまいりました。

深夜1時過ぎ出発でその日の朝、総本山大石寺に到着。今回で3回目の御登山になります。戒壇の大御本尊様にお目通りさせていただけるというワクワクと緊張で臨みました。

幸い天候は朝から快晴。とても清々しい青空が広がっています。奉安堂に向かい歩く中で感じる清浄な空気、気持ちは高鳴るばかりでした、、、が。

まだ入場するには時間が早すぎると思い、奉安堂を眼の前にして少し休憩。その間になんとなくですが体調が・・・なんとなく変?と思いつつ、もしかしたらおトイレに行けばスッキリ(失礼)するかもと何度か行ったもののあまり変わらず、御開帳のお時間近くまで待って、大丈夫だろうと入場させていただいたのです。

しかし係の方に案内していただき席についたものの、頭が少しフラフラするのと動悸もしてきて、再び外へ。そしてまたあらためて席につかせていただいたものの、まだフラつきと動悸は止まず、自主的に係の方に申し出て、救護班の方がいらっしゃる席の近くに移動させていただいたのでした。

それでもやはり無理でした。御開帳はもうすぐ始まる、しかし、もしその途中で倒れでもしたらどうしよう。大御本尊様、御法主上人猊下様にとても失礼、会場にいらっしゃる大勢のご信徒さんや係の方々にご迷惑をおかけしてしまう。いろんな思いが頭の中を巡って・・・

最終的には救護の方と退場。御開帳が始まる寸前でした。私は救護室のベッドに横たわってしまうことになったのです。

御開帳は受けられず、私の中では恥ずかしい、悔しい、残念という思いがぐるぐると渦巻いてどうしようもなく・・・

この続きはいずれブログに残そうと思っています。

感謝するのは、御住職からいろいろとお声をかけていただき「リベンジしましょう」と励ましをいただいたこと、御住職のご家族、同じ支部のご信徒さんたちから本当に心配していただいたことです。もちろん、とても親切にしていただいた会場の係の方たち、救護班の方たちにもです。

奉安堂から休憩坊までお車で送っていただきました。

この顛末に何か意味があるのだとしたら、この時私に関わって下さった方たちへの感謝、もしかしたらこの感謝ということなのかもしれません。けれども、それは私が断定することではないし、できることではありません。

けれども、この顛末はただ無意味だったで終わりなることではなく、何がしらか意味があること。そうなのだと思っています。

本当に予測もしていなかった事態になってしまって未だショックは残っていますが、「リベンジ」します。

その様子はブログで書かせていただきます。



11/15/2024

令和6年11月15日 目師会:七五三と蕪(かぶ)

 昨日11月15日は目視会(もくしえ)が奉修されましたので私も参詣してまいりました。
目師会(第三祖日目上人御報恩法要)
 第3祖日目上人(にちもくしょうにん)は、問答が大変上手なお方でした。また大聖人や第2祖日興上人に代って天皇や将軍に国家諌暁(こっかかんぎょう)の申状(もうしじょう)を奏上すること、実に42度にも及ぶと伝えられます。大聖人のおそばで常にお給仕に励んだお姿は、末代の僧俗すべての鏡として長く門葉の讃仰するところです。
 そのご高徳を拝する末弟信徒は、報恩の誠を尽すため、祥月命日の11月15日に日目上人御正当会を奉修します。これが目師会という行事です。
 日目上人は、身延山において日興上人には無論のこと、大師匠の日蓮大聖人にもご入滅の日まで常随給仕し、大聖人から甚深の法義を授けられました。
 弘安5年10月、大聖人がご入滅された後も、常に2祖日興上人に仕え、日興上人が正応2年(1289年)謗法の山となった身延山を離れ、富士上野に移られるに当っては、その片腕として大いに日興上人を助けました。
 日目上人がなされた公家、武家への数々の国諌は、大聖人、日興上人の志を奉じ、じつに勇猛果敢にして、その生涯をかけての闘いでした。
 この日目上人の身命をなげうって広宣流布(こうせんるふ)に努められたご精神は、永遠に受け継いでいかねばなりません。本宗においては、法のため、国のため、一切衆生救済のため老体をもかえりみないこの不惜身命の尊い行体を鑑とし、ご報恩の法要を真心をもって奉修しているのです。
 総本山では11月15日は勿論のこと、毎月15日にも御影堂(みえいどう)において法主上人ご出仕のもと、日目上人ご報恩の法要がおこなわれています。
 
 平日のやや朝早くからということもあったからでしょうか、参詣にこられた方は少なめでしたが、一生懸命読経・唱題を御本尊様にお供えさせていただきました。よかったです。
 御住職からご法話もいただきました。

 『日目上人様は、宗祖日蓮大聖人を大師匠とし、第二祖日興上人様を直接の師匠として幼少の頃に出家得度され、両尊の御教導のもと実の子供のように育たれましたが、奇しくも、日目上人が御遷化された本日11月15日は、子供の成長を祈る七五三の日なのです。』
 『このことから、古来、日目上人は子供の象徴とされ、目師会には我が子や孫と一緒に参詣し、子供達の健やかな成長と法統相続を祈る伝統が本宗にあります。』
 日目上人の御命日が七五三の日と同じだったとは、気づけば気づくことなのですが、私は足りない人間なので言われるまで全く気づきませんでした。また、日目上人が蕪を好物とされていたこともはじめて知りました。蕪は栄養が豊富で胃腸にも優しいですよね。

 私には大きな子供がいます。とっくに七五三の年齢をすぎていますが、この世で人として成長するのは人生が終わるまで続きます。子供たちがその人生を送る中で、しっかりと健やかに成長してゆくことを祈ります。もちろん、私もまだまだ欠けが多い者。私自身の成長も一緒に祈ってゆきたいと思います。

 そして思えばどのように思う親でも、特別な縁があってその親から生まれたのは自分。これは変えようのない事実ですし、親自身も人生を終えるまで成長し続けてほしいと願います。子供たちの成長を願うとともに、この親にも南無妙法蓮華経を送り続けてゆきたいです。

 参詣の後、他のご信徒さんを駅まで車でお送りして、家庭訪問とリーフレットの配布を少し行ってから帰りました。お仕事中の方お忙しい中ありがとうございました。なかなか実りませんが、広宣流布のためこつこつと続けさせていただきます。

11/10/2024

御報恩御講でした(仏教勉強会も)

本日は御講(おこう)でお寺に行ってまいりました。

御講にも御逮夜と御正当がありまして、その両方で参詣させていただきました。

今日も天気がよかったです。最後は皆さんと一緒に御寺をお掃除させていただいてそれもよかったです。冬が近づいているせいか水道の水も冷たくなりました。でもそんなことは全く気になりませんでした。



御住職の法話をいただく中で一つの念が浮かびました。でもそれは法話をいただいて突然浮かんだということではなく、実は前々から思っていたことでもあります。ただそれにしっかり気づけていなかった、というか気づこうとしなかった、無意識の内に避けていた。自分を振り返るとそういうことなのだなあと思いました。

今までの人生を振り返ると「残念な自分がここにいる」、ということがありありと存在感を増している。そのようにただひたすら現実感を増して浮かんでくる。

家族のこと、生活のこと、病気のこと、その他いろいろなこと、たくさんの悩みがあります。お寺にくる皆さんだってきっとそうでしょう。たいへんな思いを抱えながらお寺にきて、御本尊様にしっかり向かって御経を読み御題目を唱えているのです。仏様を求めているのです。

私はこれまで自分が関わってきたたくさんの人やたくさんの事柄などとの御縁など全くと言っていいほど考えたことがありませんでした。それが良縁であっても悪縁であってもです。突然湧いたように出てきては突然消える。人との出会いや世の中で生きている内に自分に関わる事柄などは、そのようにしゃぼん玉のように突然出てきて突然あとかたも無くなる。

これまでこういうことのくり返しな人生だったと振り返ります。

それにしても縁を無視といいますか、そもそも存在していないものとしているなんて、今思うとただひたすら恐ろしいばかりです。

これまで私が数限りなく無駄にしてきた縁というものを大切に考えてゆきたいと思います。もちろんその中にはよいものもよくないものもあるでしょうけれど、その縁に支えられているということをしっかりと心に刻み、それを何とかよくしていただきたいと乞い願い、御本尊様に向かいお経を読みお題目を唱えるのです。

そこで今の私にまだ足りないことは何か。

ひとつ。まだまだ唱題(御本尊様を信じて御本尊様に向かい御題目を唱えること)が足りないのでしょう。他人事ではありません。私は足りないから分からないのです。分からないからまたよくない方向を向いてしまうのです。

御本尊様と境智冥合(きょうちみょうごう)できるよう、自分の心をしっかりと御本尊様に合わせ、しっかりと唱題を続けてゆきたいと思います。今日やったから今叶う明日叶うというものではありません。でも毎日仏道の修行をしっかりと続けてゆけば必ず叶うのです。

あらためてこう思った日でした。

※仏教勉強会については日をあらためてまたにさせていただきます。

お問合せは下に連絡先がありますのでそちらからどうぞ。コメントもお待ちしております。

ぜひ一度日蓮正宗のお寺にいらしてください😄


※実名は直接ご連絡がとれない間は控えさせていただきます。
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※迷惑行為にはそれなりに対応させていただきます。

11/05/2024

御会式でした

投稿が遅くなってしまいましたが、御会式で御逮夜と御正当の二日間にわたり参詣してまいりました。

思えば「一年の内で最も大切な行事だから」と教えてもらったものの、準備にあたっては実際に何をすれば右も左も分からない中で、皆さんの中に交えていただいてお花作りやお掃除など、心を込めてさせていただけたと自分としては納得しています。

御住職の御指導、そして役員さんや他のご信徒さんからいろいろと教えていただけて、ありがたかったです。

御会式がどうして一年の内で最も大切な行事なのか。私の拙い説明ではおぼつかないので下のリンク先をお読みくださってご参考にしていただけるとありがたいです。
※日蓮正宗の主な行事のページ内の「宗祖御大会(ごたいえ)」のところをお読みください。

日蓮正宗の主な行事


御会式(御正当)当日はとてもよいお天気で、青空がとても爽やかな日でした。お声を何度もかけて下さった奥様お嬢様、早くからお寺に来られて駐車場の係、受付や席のご案内などをして下さった役員さん方々、本当におつかれさまでした。ありがとうございます。

式は他所から六名の御僧侶もいらして下さり厳粛かつ荘厳に執り行われました。一生懸命読経と唱題をしました。立正安国論と御申状捧読の際は心を御本尊様に集中し続けました。御僧侶のお説法もありがたく拝聴いたしました。初めてこの御会式に参詣して、これからも大聖人様の教えを修行して、家族、友人・知人や世界中の人々にこの教えが弘まってゆくならば、たとえどんなにつらい悩みや苦しいことがあっても、いやなことがあっても、みんなを必ず大聖人様が救って下さるとあらためて心に刻むことができました。

式が無事執り行われた後、御住職の御指示で役員さんが中心になって、みんなで後片付けをしました。そしてお供えの果物とお餅をいただき、御住職と奥様にご挨拶してお寺を後にしました。

帰り道に歩きながら浴びた陽射しと風が柔らかくて気持ちよく、自分の心も前より柔らかくなってゆくように感じていました。

※下はいただいたお供え物です。

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ぜひ一度日蓮正宗のお寺にいらしてください😄


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霊感商法相談1万件超

数日前の地元新聞紙上に「霊感商法相談1万件超」という記事がありました。 法テラス(日本司法支援センター)という組織には毎月200件前後の相談が寄せられていて、信者または元信者の方、またそのお子さんやお孫さんからも相談が寄せられているそうです。 相談された方の所属する、または被害に...