「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ。是豈流通にあらずや。法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。」
「あなたもまた、日蓮に従い、法華経の行者として諸人に話されている。これこそ法華流通の義ではないか。法華経の信心を貫き通しなさい。火打ち石で火をつけるのに、途中で休んでしまえば火を得られない。強盛な大信力を出して法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。」
四条金吾殿御返事(御書599)
本日御報恩御講参詣してまいりました。
「強盛の大信力をいだして」と聞いただけで、この性格だからでしょうか、弱気・不安・あきらめ・・・のようなもので頭の中がなんだかモヤモヤしてきます。それではいけないのですが。
自分の人生に当てはめたらどうなのでしょう。
家族をこれまで大切にし切れていなかった。きちんと向き合ってこなかった。それが今結果として現れているのを確かに感じています。
だから弱気・不安・そしてあきらめ・・・
家族のことだけではなくどんなことに対してもそうだったと思います。
そして知らず知らずのうちに、ただ刹那的な考えになり行動もそうなる。
そうではなく、今からでも遅くない。今得ている結果は結果としてそこから眼をそらさず、しっかりと向き合って行動してゆけば必ずよくなる。そして家族みんなで幸せになれる。
日蓮正宗で信仰をはじめて、そういう勇気を与えられたと思っています。
この信心をして、信心しているからあの人は、あの家族は幸せなんだと言われるように強盛にがんばってゆきたい。
そう思った日でした。
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