1/16/2025

霊感商法相談1万件超

数日前の地元新聞紙上に「霊感商法相談1万件超」という記事がありました。

法テラス(日本司法支援センター)という組織には毎月200件前後の相談が寄せられていて、信者または元信者の方、またそのお子さんやお孫さんからも相談が寄せられているそうです。

相談された方の所属する、または被害に遭わせられた団体は有名なところでは「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」、その他の団体、そして団体に関して回答なしもあるとのこと。

回答なしというのはなんでしょうね。被害に遭わせられたけれどもその団体の信者ではない方とか、もしかしたらその団体の名前を知らずに被害に遭わせられた方などでしょうか。

一番気になるのは、寄せられた相談内容に「心の悩み」「家族との関係」があるということです。

お金という物の問題は、弁護士さんとか、司法で解決に向かうことができるのでしょう。けれども、自分は騙されていたと気づき、その団体から脱会して、お金も戻ってきた。しかし、それ以前に元々その団体への入会を反対していた家族との関係で(今も)悩みが続いている。
もう一つ例えば、病気を治したい、お金に困っている、家族との間や人間関係に悩んでいる、自分をよくしたいなどの思いで本当に心から何かにすがりたくて、信じきってそれを購入したのに、全くのウソだった。

ウソだと分かって、それを購入したお金は戻ってくるにはきたけど、ではその人のそれを信じきった心はその先どうなってしまうのでしょうか。

人が心からすがりたいと思う願い、そして信じてすがってゆけば必ず願いは叶うという思い。

霊感商法は「この品を買えば悪霊が取り除かれる、運が開けるなどと信じ込ませて不当に高額な品を売りつけるやり方(大辞泉)」で、人が持つ信じる心を滅茶苦茶に傷つけてしまうのです。

言うまでもなくろくでもないものです。

新聞記事では、旧統一教会の関係がクローズアップされているように感じましたが、たとえ高額でなくてもそういうものを買わされている人は多いでしょう。例えば石とかブレスレットなど、またはお守りとか。

旧統一教会だけではなく、いろんな団体、宗教団体に限らず個人の占い師とか、祈祷師、スピリチュアルとか呼ばれる人たちも含めて、そういうよくないものがはびこっているのが現状です。

人が真に尊いもの尊ぶその心は本当に尊いことです。それをいたずらに他の人がもて遊ぶようなことがあってはなりません。

高額で何にもならない物を買わされたということだけではなく、そういうまがい物のグッズを買わされたのでは?とか、本当にご利益があるの?という疑問などがあればお受けします。

下の連絡先にご連絡ください。

何かありましたら何でもお気軽にご連絡ください。
お待ちしています。


(注)申し訳ありませんが非通知、ワン切りの電話などには対応いたしかねます。





1/15/2025

令和7年1月15日 第三祖日目上人 御命日忌 唱題会

昨日15日は第三祖日目上人の御命日。

唱題会で参詣してまいりました。

朝から(夜から?)雪がたくさん降り道路状況が心配でしたが、遅刻しなかったのはよかったです。

ちなみに16日からガソリンが値上がりすると聞いていたので、お寺に向かう途中車のガソリンを満タンにしてゆきました。こちらもスムーズに運んでOKでした。

午後からは雇用保険の説明会に行ってまいりました。求職中(休職中)の身なので、こういう公的なことはきちんとやっておかなければなりません。もちろん今のこの状況に限らず、常日頃何事においてもきちんとしておくのがよいと思います。

年齢も年齢ですし、この先の生活のこととか、いろいろ心配でついつい不安になってしまいますが、社会に出て貢献できることがあればやり続けたいと思いますし、それで生活の糧も得させていただけたらありがたいと思っています。

よい職と出会えますように。

お寺を後にする際にポンカンをいただきました。
ひとつ食べてしまったので一個だけの写真です。

美味しいです。



1/13/2025

令和7年1月13日 宗祖日蓮大聖人 御命日忌 唱題会:太鼓の練習も

13日は宗祖日蓮大聖人の御命日であり、唱題会もありましたので参詣してまいりました。

唱題会の後、みなさんお寺のお掃除をされ、私はその間太鼓の練習をさせていただきました。御住職からは今年中に叩けるようになれるようにと目標を与えられておりますし、また実際の叩き方の指導もしていただいています。毎回緊張します。

思えば、私なりに考えると太鼓はいわゆる楽器、それも打楽器です。打楽器の演奏(と言っていいのでしょうか?)は小学生の頃以来ですからだいたい50年ぶりでしょうか。私は若い頃からギターを弾いていたので(ここ数年は長らく何もしていません)、音楽や楽器の類は好きなのですが、唱題で太鼓を叩くことは個人的な趣味でやることとは別格すぎます。想像しただけで気が動転しそうです。

とはいえ、お寺で太鼓を立派に叩くことも私の信心の現れ、叩く太鼓の音は仏様へのお供え物とこの肝に銘じ、一生懸命取り組んでゆきたいと思っています。

都合がつく時はお寺に通い練習させていただきます。

帰り際お正月のお供え物だった昆布をいただきました。家で湯豆腐でもする時に使わせていただきます。

1/12/2025

令和7年1月12日御報恩御講

 「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ。是豈流通にあらずや。法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。」

「あなたもまた、日蓮に従い、法華経の行者として諸人に話されている。これこそ法華流通の義ではないか。法華経の信心を貫き通しなさい。火打ち石で火をつけるのに、途中で休んでしまえば火を得られない。強盛な大信力を出して法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。」

四条金吾殿御返事(御書599)

本日御報恩御講参詣してまいりました。

「強盛の大信力をいだして」と聞いただけで、この性格だからでしょうか、弱気・不安・あきらめ・・・のようなもので頭の中がなんだかモヤモヤしてきます。それではいけないのですが。

自分の人生に当てはめたらどうなのでしょう。

家族をこれまで大切にし切れていなかった。きちんと向き合ってこなかった。それが今結果として現れているのを確かに感じています。

だから弱気・不安・そしてあきらめ・・・

家族のことだけではなくどんなことに対してもそうだったと思います。

そして知らず知らずのうちに、ただ刹那的な考えになり行動もそうなる。

そうではなく、今からでも遅くない。今得ている結果は結果としてそこから眼をそらさず、しっかりと向き合って行動してゆけば必ずよくなる。そして家族みんなで幸せになれる。

日蓮正宗で信仰をはじめて、そういう勇気を与えられたと思っています。

この信心をして、信心しているからあの人は、あの家族は幸せなんだと言われるように強盛にがんばってゆきたい。

そう思った日でした。

1/07/2025

令和7年1月7日 第二祖日興上人 御祥月命日忌 唱題会

1月7日第二祖日興上人の御祥月命日。

そして1月度はお寺で毎日9時から唱題会があります。やむを得ず参詣にゆけない人は自宅で1時間以上の唱題をすることが奨励されています。

毎日9時に参詣にゆくのは難しいのですが、今日は日興上人の御命日ということもあり、お寺に行きました。

ただし、今朝は急用で、離れて住んでいる家族と電話で話をしたりしたので、時間に遅れてしまいました。大切な仏道修行ですから遅刻をしないよう以後気をつけます。

御住職から法統相続と一家和楽の信心のお話しをいただきました。そのとおりだと思いました。

法統相続と一家和楽の信心。今の私にとってかなりハードルが高く感じることです。それは私のこれまでを考えたら納得できることですし、ではそのこれまでを変えられなかったの?の問われたら、それがなぜできなかったのか、そしてどうして今のようになってしまったのかが自分の力で分からないわけですから、どうしようもありません。

私はなぜ自分の境界が今のようになってしまっているのかが自分で分からないのです。

「功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。」(御義口伝)と日蓮大聖人は仰せです。

これから先もまた勤行・唱題・参詣と信心を続けてゆけば、さらに少しでも何らかの果を得ることができる、そして私はさらにまた変わってゆくことができる。それを信じています。

ハードルが高いな、難しいな・・・と思って弛めてしまうことなく、かといって今すぐできないことは現実にできないですけれども、法統相続と一家和楽のためにわずかでもできることを見つけてそれをやり続ける。そうやって信心してゆきたいです。

1/05/2025

対話を拒否して頑なに迷う顕正会の会員

顕正会の方たちとお話をする機会がありました。お二人で、個人情報を伏せますので、男性Aさん女性Bさんとさせていただきます。

長くなるので結論ですが。

こちらの疑問には全く答えないです。というか答えられないのでしょう。そして、長々とまくしたてた後の最後には、自分たちから会話の席を立ちあがり、聞いたセリフが「話が並行線だ」「もう会いません」です(Bさん)。

私は切り捨てられました😢

自分の主張が受け入れられなければ「話が平行線」だから「もう会わない」(Bさん)だそうです。約束をしていないあなたが突然その場にAさんと一緒にいらっしゃっていて、私は無礙にするのもよくないと思い、それについては何も言わずにいたのに最後はそのセリフです。

こちらが持っていったリーフレットや資料に眼を通すこともなく受け取りも拒否。もちろん私は顕正会が配っている宣伝紙は知ってますし読んでます。

Aさんは私を今すぐには切らないとは言ってくれましたが、上の人と相談して・・・だそうです。何を相談するのでしょうかね。自分が無いのでしょうかというのもありますし、何でそこまで上から目線で言われなければならないのでしょうか。と言うのは言い過ぎでしょうか。

しかも実際の生活で謗法と知りつつそれを行っている自分がいるのに、日蓮正宗を謗法者呼ばわり。何なのでしょうか。言っていることとやっていることが違うところで信心しているからそういう信心になるのでしょう(信心と言っていいのでしょうかね)。それとも顕正会の言う信心は観念の世界のことなのでしょうか。

「国立戒壇」「御遺命破壊」「悪臨終」だ~云々などと、想像していたとおりまくしたてていかれましたが、顕正会のそれは全て誤りであると、とっくに済んでいることです。

私が所属する日蓮正宗寺院の法華講の心得の一つに「世間においても範士であれ」があります。「範」とは模範の範です(精選版 日本国語大辞典)。これは「世間においても模範となる人であれ」ということと理解しています。

私はまず一人の人として、当然自分自身も振り返りながら、この世間の人としてどうなのかなあというのをこの度のことに馳せて思いましたし、まずはじめに感じぜずにはいられませんでした。そういう出来事でした。

日蓮大聖人の御遺命は「血脈相承に随順する」ことと「広宣流布に向かって精進して本門寺の戒壇の建立を期する」ことです。

取るに足らない私ですが、この御遺命に従い、自他ともに仏道を成じて安らかに同じく寂光浄土に帰することができますよう祈らせていただきます。

追記:Aさんにはその後すぐまたラインでメールを送らせていただきましたがそのお返事はまだいただいていないです。Bさんからは連絡先も教えていただけませんでした。いつでもお待ちしています。


何かありましたら何でもお気軽にご連絡ください。
お待ちしています。


(注)申し訳ありませんが非通知、ワン切りの電話などには対応いたしかねます。

1/02/2025

ブロガーについて

 ブロガーについて。


ブロガーでブログをはじめて、先日気づいたことがあります。

投稿する記事はあらかじめ何らかの下書きを残すこともあります。
けれど、投稿された記事の日付がそれを公開した日ではなくて、下書きを残した日付になっちゃっているんですよね。


この画像のようにです。
上が下書きを残した日付で、下が公開した日付です。

当然公開する日がこちらの意図するところなのでその日付で表示されてほしいのですが。
どうすればいいのでしょう?

公開する日に記事を書きはじめるしかないのでしょうか。

よく分からないでいます😓

霊感商法相談1万件超

数日前の地元新聞紙上に「霊感商法相談1万件超」という記事がありました。 法テラス(日本司法支援センター)という組織には毎月200件前後の相談が寄せられていて、信者または元信者の方、またそのお子さんやお孫さんからも相談が寄せられているそうです。 相談された方の所属する、または被害に...