本日は御講(おこう)でお寺に行ってまいりました。
御講にも御逮夜と御正当がありまして、その両方で参詣させていただきました。
今日も天気がよかったです。最後は皆さんと一緒に御寺をお掃除させていただいてそれもよかったです。冬が近づいているせいか水道の水も冷たくなりました。でもそんなことは全く気になりませんでした。
御住職の法話をいただく中で一つの念が浮かびました。でもそれは法話をいただいて突然浮かんだということではなく、実は前々から思っていたことでもあります。ただそれにしっかり気づけていなかった、というか気づこうとしなかった、無意識の内に避けていた。自分を振り返るとそういうことなのだなあと思いました。
今までの人生を振り返ると「残念な自分がここにいる」、ということがありありと存在感を増している。そのようにただひたすら現実感を増して浮かんでくる。
家族のこと、生活のこと、病気のこと、その他いろいろなこと、たくさんの悩みがあります。お寺にくる皆さんだってきっとそうでしょう。たいへんな思いを抱えながらお寺にきて、御本尊様にしっかり向かって御経を読み御題目を唱えているのです。仏様を求めているのです。
私はこれまで自分が関わってきたたくさんの人やたくさんの事柄などとの御縁など全くと言っていいほど考えたことがありませんでした。それが良縁であっても悪縁であってもです。突然湧いたように出てきては突然消える。人との出会いや世の中で生きている内に自分に関わる事柄などは、そのようにしゃぼん玉のように突然出てきて突然あとかたも無くなる。
これまでこういうことのくり返しな人生だったと振り返ります。
それにしても縁を無視といいますか、そもそも存在していないものとしているなんて、今思うとただひたすら恐ろしいばかりです。
これまで私が数限りなく無駄にしてきた縁というものを大切に考えてゆきたいと思います。もちろんその中にはよいものもよくないものもあるでしょうけれど、その縁に支えられているということをしっかりと心に刻み、それを何とかよくしていただきたいと乞い願い、御本尊様に向かいお経を読みお題目を唱えるのです。
そこで今の私にまだ足りないことは何か。
ひとつ。まだまだ唱題(御本尊様を信じて御本尊様に向かい御題目を唱えること)が足りないのでしょう。他人事ではありません。私は足りないから分からないのです。分からないからまたよくない方向を向いてしまうのです。
御本尊様と境智冥合(きょうちみょうごう)できるよう、自分の心をしっかりと御本尊様に合わせ、しっかりと唱題を続けてゆきたいと思います。今日やったから今叶う明日叶うというものではありません。でも毎日仏道の修行をしっかりと続けてゆけば必ず叶うのです。
あらためてこう思った日でした。
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