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1/16/2025

霊感商法相談1万件超

数日前の地元新聞紙上に「霊感商法相談1万件超」という記事がありました。

法テラス(日本司法支援センター)という組織には毎月200件前後の相談が寄せられていて、信者または元信者の方、またそのお子さんやお孫さんからも相談が寄せられているそうです。

相談された方の所属する、または被害に遭わせられた団体は有名なところでは「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」、その他の団体、そして団体に関して回答なしもあるとのこと。

回答なしというのはなんでしょうね。被害に遭わせられたけれどもその団体の信者ではない方とか、もしかしたらその団体の名前を知らずに被害に遭わせられた方などでしょうか。

一番気になるのは、寄せられた相談内容に「心の悩み」「家族との関係」があるということです。

お金という物の問題は、弁護士さんとか、司法で解決に向かうことができるのでしょう。けれども、自分は騙されていたと気づき、その団体から脱会して、お金も戻ってきた。しかし、それ以前に元々その団体への入会を反対していた家族との関係で(今も)悩みが続いている。
もう一つ例えば、病気を治したい、お金に困っている、家族との間や人間関係に悩んでいる、自分をよくしたいなどの思いで本当に心から何かにすがりたくて、信じきってそれを購入したのに、全くのウソだった。

ウソだと分かって、それを購入したお金は戻ってくるにはきたけど、ではその人のそれを信じきった心はその先どうなってしまうのでしょうか。

人が心からすがりたいと思う願い、そして信じてすがってゆけば必ず願いは叶うという思い。

霊感商法は「この品を買えば悪霊が取り除かれる、運が開けるなどと信じ込ませて不当に高額な品を売りつけるやり方(大辞泉)」で、人が持つ信じる心を滅茶苦茶に傷つけてしまうのです。

言うまでもなくろくでもないものです。

新聞記事では、旧統一教会の関係がクローズアップされているように感じましたが、たとえ高額でなくてもそういうものを買わされている人は多いでしょう。例えば石とかブレスレットなど、またはお守りとか。

旧統一教会だけではなく、いろんな団体、宗教団体に限らず個人の占い師とか、祈祷師、スピリチュアルとか呼ばれる人たちも含めて、そういうよくないものがはびこっているのが現状です。

人が真に尊いもの尊ぶその心は本当に尊いことです。それをいたずらに他の人がもて遊ぶようなことがあってはなりません。

高額で何にもならない物を買わされたということだけではなく、そういうまがい物のグッズを買わされたのでは?とか、本当にご利益があるの?という疑問などがあればお受けします。

下の連絡先にご連絡ください。

何かありましたら何でもお気軽にご連絡ください。
お待ちしています。


(注)申し訳ありませんが非通知、ワン切りの電話などには対応いたしかねます。





1/15/2025

令和7年1月15日 第三祖日目上人 御命日忌 唱題会

昨日15日は第三祖日目上人の御命日。

唱題会で参詣してまいりました。

朝から(夜から?)雪がたくさん降り道路状況が心配でしたが、遅刻しなかったのはよかったです。

ちなみに16日からガソリンが値上がりすると聞いていたので、お寺に向かう途中車のガソリンを満タンにしてゆきました。こちらもスムーズに運んでOKでした。

午後からは雇用保険の説明会に行ってまいりました。求職中(休職中)の身なので、こういう公的なことはきちんとやっておかなければなりません。もちろん今のこの状況に限らず、常日頃何事においてもきちんとしておくのがよいと思います。

年齢も年齢ですし、この先の生活のこととか、いろいろ心配でついつい不安になってしまいますが、社会に出て貢献できることがあればやり続けたいと思いますし、それで生活の糧も得させていただけたらありがたいと思っています。

よい職と出会えますように。

お寺を後にする際にポンカンをいただきました。
ひとつ食べてしまったので一個だけの写真です。

美味しいです。



1/13/2025

令和7年1月13日 宗祖日蓮大聖人 御命日忌 唱題会:太鼓の練習も

13日は宗祖日蓮大聖人の御命日であり、唱題会もありましたので参詣してまいりました。

唱題会の後、みなさんお寺のお掃除をされ、私はその間太鼓の練習をさせていただきました。御住職からは今年中に叩けるようになれるようにと目標を与えられておりますし、また実際の叩き方の指導もしていただいています。毎回緊張します。

思えば、私なりに考えると太鼓はいわゆる楽器、それも打楽器です。打楽器の演奏(と言っていいのでしょうか?)は小学生の頃以来ですからだいたい50年ぶりでしょうか。私は若い頃からギターを弾いていたので(ここ数年は長らく何もしていません)、音楽や楽器の類は好きなのですが、唱題で太鼓を叩くことは個人的な趣味でやることとは別格すぎます。想像しただけで気が動転しそうです。

とはいえ、お寺で太鼓を立派に叩くことも私の信心の現れ、叩く太鼓の音は仏様へのお供え物とこの肝に銘じ、一生懸命取り組んでゆきたいと思っています。

都合がつく時はお寺に通い練習させていただきます。

帰り際お正月のお供え物だった昆布をいただきました。家で湯豆腐でもする時に使わせていただきます。

1/12/2025

令和7年1月12日御報恩御講

 「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ。是豈流通にあらずや。法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。」

「あなたもまた、日蓮に従い、法華経の行者として諸人に話されている。これこそ法華流通の義ではないか。法華経の信心を貫き通しなさい。火打ち石で火をつけるのに、途中で休んでしまえば火を得られない。強盛な大信力を出して法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。」

四条金吾殿御返事(御書599)

本日御報恩御講参詣してまいりました。

「強盛の大信力をいだして」と聞いただけで、この性格だからでしょうか、弱気・不安・あきらめ・・・のようなもので頭の中がなんだかモヤモヤしてきます。それではいけないのですが。

自分の人生に当てはめたらどうなのでしょう。

家族をこれまで大切にし切れていなかった。きちんと向き合ってこなかった。それが今結果として現れているのを確かに感じています。

だから弱気・不安・そしてあきらめ・・・

家族のことだけではなくどんなことに対してもそうだったと思います。

そして知らず知らずのうちに、ただ刹那的な考えになり行動もそうなる。

そうではなく、今からでも遅くない。今得ている結果は結果としてそこから眼をそらさず、しっかりと向き合って行動してゆけば必ずよくなる。そして家族みんなで幸せになれる。

日蓮正宗で信仰をはじめて、そういう勇気を与えられたと思っています。

この信心をして、信心しているからあの人は、あの家族は幸せなんだと言われるように強盛にがんばってゆきたい。

そう思った日でした。

1/07/2025

令和7年1月7日 第二祖日興上人 御祥月命日忌 唱題会

1月7日第二祖日興上人の御祥月命日。

そして1月度はお寺で毎日9時から唱題会があります。やむを得ず参詣にゆけない人は自宅で1時間以上の唱題をすることが奨励されています。

毎日9時に参詣にゆくのは難しいのですが、今日は日興上人の御命日ということもあり、お寺に行きました。

ただし、今朝は急用で、離れて住んでいる家族と電話で話をしたりしたので、時間に遅れてしまいました。大切な仏道修行ですから遅刻をしないよう以後気をつけます。

御住職から法統相続と一家和楽の信心のお話しをいただきました。そのとおりだと思いました。

法統相続と一家和楽の信心。今の私にとってかなりハードルが高く感じることです。それは私のこれまでを考えたら納得できることですし、ではそのこれまでを変えられなかったの?の問われたら、それがなぜできなかったのか、そしてどうして今のようになってしまったのかが自分の力で分からないわけですから、どうしようもありません。

私はなぜ自分の境界が今のようになってしまっているのかが自分で分からないのです。

「功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。」(御義口伝)と日蓮大聖人は仰せです。

これから先もまた勤行・唱題・参詣と信心を続けてゆけば、さらに少しでも何らかの果を得ることができる、そして私はさらにまた変わってゆくことができる。それを信じています。

ハードルが高いな、難しいな・・・と思って弛めてしまうことなく、かといって今すぐできないことは現実にできないですけれども、法統相続と一家和楽のためにわずかでもできることを見つけてそれをやり続ける。そうやって信心してゆきたいです。

1/05/2025

対話を拒否して頑なに迷う顕正会の会員

顕正会の方たちとお話をする機会がありました。お二人で、個人情報を伏せますので、男性Aさん女性Bさんとさせていただきます。

長くなるので結論ですが。

こちらの疑問には全く答えないです。というか答えられないのでしょう。そして、長々とまくしたてた後の最後には、自分たちから会話の席を立ちあがり、聞いたセリフが「話が並行線だ」「もう会いません」です(Bさん)。

私は切り捨てられました😢

自分の主張が受け入れられなければ「話が平行線」だから「もう会わない」(Bさん)だそうです。約束をしていないあなたが突然その場にAさんと一緒にいらっしゃっていて、私は無礙にするのもよくないと思い、それについては何も言わずにいたのに最後はそのセリフです。

こちらが持っていったリーフレットや資料に眼を通すこともなく受け取りも拒否。もちろん私は顕正会が配っている宣伝紙は知ってますし読んでます。

Aさんは私を今すぐには切らないとは言ってくれましたが、上の人と相談して・・・だそうです。何を相談するのでしょうかね。自分が無いのでしょうかというのもありますし、何でそこまで上から目線で言われなければならないのでしょうか。と言うのは言い過ぎでしょうか。

しかも実際の生活で謗法と知りつつそれを行っている自分がいるのに、日蓮正宗を謗法者呼ばわり。何なのでしょうか。言っていることとやっていることが違うところで信心しているからそういう信心になるのでしょう(信心と言っていいのでしょうかね)。それとも顕正会の言う信心は観念の世界のことなのでしょうか。

「国立戒壇」「御遺命破壊」「悪臨終」だ~云々などと、想像していたとおりまくしたてていかれましたが、顕正会のそれは全て誤りであると、とっくに済んでいることです。

私が所属する日蓮正宗寺院の法華講の心得の一つに「世間においても範士であれ」があります。「範」とは模範の範です(精選版 日本国語大辞典)。これは「世間においても模範となる人であれ」ということと理解しています。

私はまず一人の人として、当然自分自身も振り返りながら、この世間の人としてどうなのかなあというのをこの度のことに馳せて思いましたし、まずはじめに感じぜずにはいられませんでした。そういう出来事でした。

日蓮大聖人の御遺命は「血脈相承に随順する」ことと「広宣流布に向かって精進して本門寺の戒壇の建立を期する」ことです。

取るに足らない私ですが、この御遺命に従い、自他ともに仏道を成じて安らかに同じく寂光浄土に帰することができますよう祈らせていただきます。

追記:Aさんにはその後すぐまたラインでメールを送らせていただきましたがそのお返事はまだいただいていないです。Bさんからは連絡先も教えていただけませんでした。いつでもお待ちしています。


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12/31/2024

令和7年1月1日あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

昨日大晦日からの年越唱題会に引き続き、元旦勤行会も参詣することができました。

私にとっても、いよいよいろんなことがこれまでよりはっきりと見え、感じられてくるようになってきたと感じています。
その分、今まで無意識でも目を覆っていたことが見えることで、とてもつらい時もありますが、目標を定めて自行化他をすすめてまいりたいと思います。

これも勤行を続けさせていただいた功徳と思っています。

本年がみなさんにとってよいお年となるよう御祈念いたします🎍

令和6年12月31日大晦日です

大晦日です。
寒さも厳しくなりました。

今年よかったことといえば、年も年ですから大病や大きなケガをすることなく過ごせたことはことはよかったですが、総本山大石寺に4回行けたことです。

本日はこれから23:30年越唱題会、明日0:00から元旦勤行会なので行ってまいります。

いろんなことがありますね。

来年がみなさんにとってよい年となりますように。

12/22/2024

令和6年12月22日納め御講

納め御講で参詣してまいりました。

天候は荒れ模様の予報どおり、寒さの厳しさが増し風も強く、駐車場の案内係をして下さった方たいへんそうで、ありがとうございました。

御本尊様にきちんと心を合わせて、しっかりと読経・唱題できたと思います。御導師を務めて下さる御住職様にはいつも感謝するしだいです。

今年を振り返り、反省すべきところは反省し、来る「活動充実の年」に向けて、やるべきことで今からできることはすぐ始める、できないことはどうしたらできるか努力する、これを自分の頭と力にだけ頼るのではなく、御本尊様をあらためて信じ受け入れ、全てを御任せして新しい一年をやってゆけるよう祈るばかりです。

御講の後は大掃除が行われましたが、すみません、私は参詣後どうしても行かなければならない用があり、お掃除には参加できませんでした。後日あらためて挽回したいと思います。

ところで一つ。

完全に個人を特定できないようにするため伏せさせていただきますが、「お寺に興味はない」「お寺はいらない」などと言われたことがありました。

「お寺に興味はない」とは言い換えると「宗教に興味はない」ということなのかなと思いますし、「お寺はいらない」!?などと言われると、あまりにも辛辣で衝撃的な言葉と言いますか、「いらない」ってこの場合お寺の存在そのものを否定する意味でもありますから、それなりにショックなわけであります。

信心は、始めるきっかけとしてはまあよいのでしょうけれど、そもそも自分の興味で決まってしまうものではないです。自分の興味で始めたり止めたりするのでしたら、それは何かを信じているのではなくて、どこまで進んでも自分と自分の興味、つまり御本尊様を信じているのではなくて自分を信じていることになります。結果いつまでも同じことで悩み、同じところで辛い、そのような状態にいつもなるのは当たり前なのに、信心に責任転嫁して止めてしまう。とてももったいないことです。

それから「お寺はいらない」と言うのは、その人にとって他にもっと素晴らしいものがあるのか、それとも自分の信念に従って生きてゆくのが最も幸福なのか、そういうことなのかもしれません。しかしどうでしょう。そう言う方が実際に、現実の生活の苦しみ、健康上の不安、人間関係などの苦しみ悩みから全く自由かというと、そんなことはありません。ではどうしているかというと、日々過ごす中でいろいろな出来事、思いが入り混じるわけですが、その中に苦しいこと悩むことを紛れさせて誤魔化しているだけ。辛く苦しいことはまともに見ないようにしている。そうではないでしょうか。

こういうことでは本当の幸福に至れるわけはありません。

いずれにしても、道のりは長いです。でも止めたらそこで終わり。上に書いたところに閉じ込められたままそこに居続けるしかなくなるだけです。これでよいわけがありません。

「信をもって源とす」日女御前御返事 1388頁

自分だけではなく、またその自分だけでどうにかすることでもなく、戒壇の大御本尊様を清らかな心で信じ続けることによって、私たちは本当に幸せな生き方、幸福の境界に至ることができますし、成仏することができます。

とかく自分の頭や自分の力だけで何とかしようとしてしまいがち、結果苦しさが増すばかりになってしまいがちですが、まずは信を以て御本尊様にお任せすること、そしてそれが無ければ何にもならないことをあらためて心に刻み、年頭を迎えましょう。

写真は自宅の窓から見える田んぼです。真っ白ですね。



12/17/2024

令和6年12月17日添書登山に行ってまいりました

添書登山に行って参りました。

私のところからだと、当日朝一で出発しても御開扉に間に合いません。ですから富士駅周辺で前泊いたしました。

天気は快晴。新潟とは真逆です。まさに西高東低。

奉安堂と並んでくっきり見える富士山も私を歓迎している?かのようなたたずまいでした。



先月の悔しくも残念な出来事で引きずっていた思いを払拭できました。

そして何よりも戒壇の大御本尊様の御威光をこの五感で十分に感じ取らせていただいたことが本当にありがたいです。

御力をいただき、ただただ感謝するばかりです。



12/13/2024

添書登山に行ってまいります

久しぶりの投稿です。

先月ショックな出来事もあり体調もどちらかというと低調気味だったのですが復帰いたしました。

今月もこれまでにお経日・唱題会・御講と、お寺へ参詣に行けたこと、とてもありがたいです。

来週17日火曜日添書登山で総本山大石寺へまいります。

先回のリベンジと言われたりもしましたが、よいのかよくないのか、自分の中ではそれほど強い意識というか湧き上がる熱意みたいなものではなくて、ごくごく自然な感じです。

先月普段やたらとお目通りできない戒壇の大御本尊様のお膝元まで行ったにもかかわらず、それがあと一歩で叶わなかった。

なるべくしてなったこと?たまたま偶然?

言いようはいくらでもありますが、今の私を取り巻く家族や両親の状況などを見たら、そしてその中での私の信心のあり様を客観的に見たら、なるべくしてなったと受け止めてもさほどショックでもないことです(そうは言ってもショックですが)。

けれども、みんなの成仏を願うなら、それがたとえ今生では叶わないことだとしても、ただ仏道修行に打ち込んでゆくしかないのです。

そうするだけです。

日蓮大聖人様と戒壇の大御本尊様、御歴代の御法主上人猊下様の御指南を信じ、そしてお寺の御住職に御指導していただきながら、私はたゆまないよう修行を続けるのです。

そうすればきっと願いは叶います。

さて、いよいよ明後日出発で、道のりの下調べや心の準備等々は整ってきています。登山終了まで突発的な事故や体調不良に十分気をつけて過ごしたいとおもいます。

同時に私の家族・両親・兄弟が無事で過ごせますように。









11/27/2024

令和6年11月24日支部登山でした、、、が

支部登山に参加してまいりました。

深夜1時過ぎ出発でその日の朝、総本山大石寺に到着。今回で3回目の御登山になります。戒壇の大御本尊様にお目通りさせていただけるというワクワクと緊張で臨みました。

幸い天候は朝から快晴。とても清々しい青空が広がっています。奉安堂に向かい歩く中で感じる清浄な空気、気持ちは高鳴るばかりでした、、、が。

まだ入場するには時間が早すぎると思い、奉安堂を眼の前にして少し休憩。その間になんとなくですが体調が・・・なんとなく変?と思いつつ、もしかしたらおトイレに行けばスッキリ(失礼)するかもと何度か行ったもののあまり変わらず、御開帳のお時間近くまで待って、大丈夫だろうと入場させていただいたのです。

しかし係の方に案内していただき席についたものの、頭が少しフラフラするのと動悸もしてきて、再び外へ。そしてまたあらためて席につかせていただいたものの、まだフラつきと動悸は止まず、自主的に係の方に申し出て、救護班の方がいらっしゃる席の近くに移動させていただいたのでした。

それでもやはり無理でした。御開帳はもうすぐ始まる、しかし、もしその途中で倒れでもしたらどうしよう。大御本尊様、御法主上人猊下様にとても失礼、会場にいらっしゃる大勢のご信徒さんや係の方々にご迷惑をおかけしてしまう。いろんな思いが頭の中を巡って・・・

最終的には救護の方と退場。御開帳が始まる寸前でした。私は救護室のベッドに横たわってしまうことになったのです。

御開帳は受けられず、私の中では恥ずかしい、悔しい、残念という思いがぐるぐると渦巻いてどうしようもなく・・・

この続きはいずれブログに残そうと思っています。

感謝するのは、御住職からいろいろとお声をかけていただき「リベンジしましょう」と励ましをいただいたこと、御住職のご家族、同じ支部のご信徒さんたちから本当に心配していただいたことです。もちろん、とても親切にしていただいた会場の係の方たち、救護班の方たちにもです。

奉安堂から休憩坊までお車で送っていただきました。

この顛末に何か意味があるのだとしたら、この時私に関わって下さった方たちへの感謝、もしかしたらこの感謝ということなのかもしれません。けれども、それは私が断定することではないし、できることではありません。

けれども、この顛末はただ無意味だったで終わりなることではなく、何がしらか意味があること。そうなのだと思っています。

本当に予測もしていなかった事態になってしまって未だショックは残っていますが、「リベンジ」します。

その様子はブログで書かせていただきます。



11/15/2024

令和6年11月15日 目師会:七五三と蕪(かぶ)

 昨日11月15日は目視会(もくしえ)が奉修されましたので私も参詣してまいりました。
目師会(第三祖日目上人御報恩法要)
 第3祖日目上人(にちもくしょうにん)は、問答が大変上手なお方でした。また大聖人や第2祖日興上人に代って天皇や将軍に国家諌暁(こっかかんぎょう)の申状(もうしじょう)を奏上すること、実に42度にも及ぶと伝えられます。大聖人のおそばで常にお給仕に励んだお姿は、末代の僧俗すべての鏡として長く門葉の讃仰するところです。
 そのご高徳を拝する末弟信徒は、報恩の誠を尽すため、祥月命日の11月15日に日目上人御正当会を奉修します。これが目師会という行事です。
 日目上人は、身延山において日興上人には無論のこと、大師匠の日蓮大聖人にもご入滅の日まで常随給仕し、大聖人から甚深の法義を授けられました。
 弘安5年10月、大聖人がご入滅された後も、常に2祖日興上人に仕え、日興上人が正応2年(1289年)謗法の山となった身延山を離れ、富士上野に移られるに当っては、その片腕として大いに日興上人を助けました。
 日目上人がなされた公家、武家への数々の国諌は、大聖人、日興上人の志を奉じ、じつに勇猛果敢にして、その生涯をかけての闘いでした。
 この日目上人の身命をなげうって広宣流布(こうせんるふ)に努められたご精神は、永遠に受け継いでいかねばなりません。本宗においては、法のため、国のため、一切衆生救済のため老体をもかえりみないこの不惜身命の尊い行体を鑑とし、ご報恩の法要を真心をもって奉修しているのです。
 総本山では11月15日は勿論のこと、毎月15日にも御影堂(みえいどう)において法主上人ご出仕のもと、日目上人ご報恩の法要がおこなわれています。
 
 平日のやや朝早くからということもあったからでしょうか、参詣にこられた方は少なめでしたが、一生懸命読経・唱題を御本尊様にお供えさせていただきました。よかったです。
 御住職からご法話もいただきました。

 『日目上人様は、宗祖日蓮大聖人を大師匠とし、第二祖日興上人様を直接の師匠として幼少の頃に出家得度され、両尊の御教導のもと実の子供のように育たれましたが、奇しくも、日目上人が御遷化された本日11月15日は、子供の成長を祈る七五三の日なのです。』
 『このことから、古来、日目上人は子供の象徴とされ、目師会には我が子や孫と一緒に参詣し、子供達の健やかな成長と法統相続を祈る伝統が本宗にあります。』
 日目上人の御命日が七五三の日と同じだったとは、気づけば気づくことなのですが、私は足りない人間なので言われるまで全く気づきませんでした。また、日目上人が蕪を好物とされていたこともはじめて知りました。蕪は栄養が豊富で胃腸にも優しいですよね。

 私には大きな子供がいます。とっくに七五三の年齢をすぎていますが、この世で人として成長するのは人生が終わるまで続きます。子供たちがその人生を送る中で、しっかりと健やかに成長してゆくことを祈ります。もちろん、私もまだまだ欠けが多い者。私自身の成長も一緒に祈ってゆきたいと思います。

 そして思えばどのように思う親でも、特別な縁があってその親から生まれたのは自分。これは変えようのない事実ですし、親自身も人生を終えるまで成長し続けてほしいと願います。子供たちの成長を願うとともに、この親にも南無妙法蓮華経を送り続けてゆきたいです。

 参詣の後、他のご信徒さんを駅まで車でお送りして、家庭訪問とリーフレットの配布を少し行ってから帰りました。お仕事中の方お忙しい中ありがとうございました。なかなか実りませんが、広宣流布のためこつこつと続けさせていただきます。

11/10/2024

御報恩御講でした(仏教勉強会も)

本日は御講(おこう)でお寺に行ってまいりました。

御講にも御逮夜と御正当がありまして、その両方で参詣させていただきました。

今日も天気がよかったです。最後は皆さんと一緒に御寺をお掃除させていただいてそれもよかったです。冬が近づいているせいか水道の水も冷たくなりました。でもそんなことは全く気になりませんでした。



御住職の法話をいただく中で一つの念が浮かびました。でもそれは法話をいただいて突然浮かんだということではなく、実は前々から思っていたことでもあります。ただそれにしっかり気づけていなかった、というか気づこうとしなかった、無意識の内に避けていた。自分を振り返るとそういうことなのだなあと思いました。

今までの人生を振り返ると「残念な自分がここにいる」、ということがありありと存在感を増している。そのようにただひたすら現実感を増して浮かんでくる。

家族のこと、生活のこと、病気のこと、その他いろいろなこと、たくさんの悩みがあります。お寺にくる皆さんだってきっとそうでしょう。たいへんな思いを抱えながらお寺にきて、御本尊様にしっかり向かって御経を読み御題目を唱えているのです。仏様を求めているのです。

私はこれまで自分が関わってきたたくさんの人やたくさんの事柄などとの御縁など全くと言っていいほど考えたことがありませんでした。それが良縁であっても悪縁であってもです。突然湧いたように出てきては突然消える。人との出会いや世の中で生きている内に自分に関わる事柄などは、そのようにしゃぼん玉のように突然出てきて突然あとかたも無くなる。

これまでこういうことのくり返しな人生だったと振り返ります。

それにしても縁を無視といいますか、そもそも存在していないものとしているなんて、今思うとただひたすら恐ろしいばかりです。

これまで私が数限りなく無駄にしてきた縁というものを大切に考えてゆきたいと思います。もちろんその中にはよいものもよくないものもあるでしょうけれど、その縁に支えられているということをしっかりと心に刻み、それを何とかよくしていただきたいと乞い願い、御本尊様に向かいお経を読みお題目を唱えるのです。

そこで今の私にまだ足りないことは何か。

ひとつ。まだまだ唱題(御本尊様を信じて御本尊様に向かい御題目を唱えること)が足りないのでしょう。他人事ではありません。私は足りないから分からないのです。分からないからまたよくない方向を向いてしまうのです。

御本尊様と境智冥合(きょうちみょうごう)できるよう、自分の心をしっかりと御本尊様に合わせ、しっかりと唱題を続けてゆきたいと思います。今日やったから今叶う明日叶うというものではありません。でも毎日仏道の修行をしっかりと続けてゆけば必ず叶うのです。

あらためてこう思った日でした。

※仏教勉強会については日をあらためてまたにさせていただきます。

お問合せは下に連絡先がありますのでそちらからどうぞ。コメントもお待ちしております。

ぜひ一度日蓮正宗のお寺にいらしてください😄


※実名は直接ご連絡がとれない間は控えさせていただきます。
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※迷惑行為にはそれなりに対応させていただきます。

11/05/2024

御会式でした

投稿が遅くなってしまいましたが、御会式で御逮夜と御正当の二日間にわたり参詣してまいりました。

思えば「一年の内で最も大切な行事だから」と教えてもらったものの、準備にあたっては実際に何をすれば右も左も分からない中で、皆さんの中に交えていただいてお花作りやお掃除など、心を込めてさせていただけたと自分としては納得しています。

御住職の御指導、そして役員さんや他のご信徒さんからいろいろと教えていただけて、ありがたかったです。

御会式がどうして一年の内で最も大切な行事なのか。私の拙い説明ではおぼつかないので下のリンク先をお読みくださってご参考にしていただけるとありがたいです。
※日蓮正宗の主な行事のページ内の「宗祖御大会(ごたいえ)」のところをお読みください。

日蓮正宗の主な行事


御会式(御正当)当日はとてもよいお天気で、青空がとても爽やかな日でした。お声を何度もかけて下さった奥様お嬢様、早くからお寺に来られて駐車場の係、受付や席のご案内などをして下さった役員さん方々、本当におつかれさまでした。ありがとうございます。

式は他所から六名の御僧侶もいらして下さり厳粛かつ荘厳に執り行われました。一生懸命読経と唱題をしました。立正安国論と御申状捧読の際は心を御本尊様に集中し続けました。御僧侶のお説法もありがたく拝聴いたしました。初めてこの御会式に参詣して、これからも大聖人様の教えを修行して、家族、友人・知人や世界中の人々にこの教えが弘まってゆくならば、たとえどんなにつらい悩みや苦しいことがあっても、いやなことがあっても、みんなを必ず大聖人様が救って下さるとあらためて心に刻むことができました。

式が無事執り行われた後、御住職の御指示で役員さんが中心になって、みんなで後片付けをしました。そしてお供えの果物とお餅をいただき、御住職と奥様にご挨拶してお寺を後にしました。

帰り道に歩きながら浴びた陽射しと風が柔らかくて気持ちよく、自分の心も前より柔らかくなってゆくように感じていました。

※下はいただいたお供え物です。

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ぜひ一度日蓮正宗のお寺にいらしてください😄


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10/25/2024

新聞の発送作業をしてまいりました

お寺に行って月一回の新聞発送作業をしてまいりました。

お寺の翌月のカレンダー、行事等のご案内、新聞(大白法)などを、各ご信徒さんの元へお送りするのです。

本日は御住職御指導の下、私を含め5名が作業にあたらせていただきました。集まる人数は多い日少ない日ありますが、気持ちの込め方は変わりません。

今日は平日ということもあったからでしょうね。私以外は全てご婦人。ご婦人たちのパワーにやや圧倒されながらの作業でした。

素晴らしいです。

新聞を折りたたむ、案内の印刷物を揃える、それらを封筒に入れて封をする、宛名を貼り付ける、これらひとつひとつの作業に心を込めて、受け取られたみなさんがそれを見て、読み、また他の誰かに伝えられてゆく。このように広がってゆき、そして広宣流布へとつながってゆく。このようなことを心に思いながらしっかり作業させていただけたと思っています。

ありがたいです。

今日は新聞発送作業の後、お寺にいらっっしゃる方たちが手荷物などを置く棚のペンキ塗りをさせていただきました。無精者で怠け者(この辺の方言では"のめしこき"といいます)な私にはかなり不慣れな作業でしたが、御住職の御指導を十分にいただき、なんとかご婦人たちが「きれいになったね」とおっしゃるくらいの仕上がりになりました。もちろんご婦人たちもしっかりと作業してくださいました。私が負けそうなくらいでした。

最後は思いもよらぬお弁当をいただき皆さんと一緒にお腹に納めさせていただきました。美味しかったです。

秋晴れの空とそよぐ風が気持ちよい日でした。


ご意見やお問合せは下に連絡先がありますのでそちらからどうぞ。コメントもお待ちしております。

ぜひ一度日蓮正宗のお寺にいらしてください😄


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10/19/2024

唱題会でした

今日唱題会でしたのでお寺に行ってきました。昨日より気温がぐっと下がったようで本堂は少し肌寒むかったですが、御本尊様にしっかりと会い向かわせていただき、一生懸命心を込めて読経唱題してまいりました。

やっぱり気持ちがいいですね。

お願いしたわけではないのですが、お寺でよくお会いするご信徒さんから、妙教のバックナンバーをいただきました。御書の今月の御講で拝読した箇所のことが書いてあるからとのこと。信心は信行ですから、私のような人間が自然とそこに助けを得ることができるなんて、本当に仏様は言い尽くせないほどありがたい。

今日の唱題会は、他のお寺の御会式で御住職が不在のため、講頭さんがお導師を務めてくださいました。初めての経験でした。私自身浅はかですから、自分で思ってもつたないところが多々あるのですが、何とか最後までがんばれました。ありがとうございました。

体の調子が今ひとつだったり気持ちがふるわないと思う時でも、きちんと勤行唱題できた時は一本芯がしっかりと通る感じがして、心と体がしっかりします。したがってがんばろうと無理に思わなくても、自然と前向きに行動できるようです。

本当にありがたいです。



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顕正会は富士大石寺とは何の関係もない団体です

実は私、顕正会の会員でした。さかのぼれば40年近くでしょうか。その頃顕正会は日蓮正宗顕正会と名乗っていましたね。入会したきっかけは付き合いとかそんなことでしたし活動もさっぱりで、いつの間にか(だったと記憶しています)私を誘った方とも音信不通。ほぼ忘れていました。それで40年近く経って入会していたことを思い起こさせる出来事があり、きちんと退会することになるのですけれども、それはまた後日機会があればということで。

日蓮正宗顕正会と名乗っていたわけですが、その頃既に顕正会は日蓮正宗とは無関係。日蓮正宗からしてみたら勝手に名前を使われるのは迷惑で困るわけですし、世間一般的な道義的・倫理的にもいかがなものかと思わざるを得ないことです。当時の私は、若さのせいにはできないですが、そこまでの理解に至っていない浅はかな者でした。それにしても既にたくさんの法華講員の方やそうでない方も指摘しているとおり、顕正会そして会員の方に関わると本当に迷惑で困ることが多いのではないでしょうか。

顕正会は今から50年前の1974年(昭和50年)に日蓮正宗から除名れた故浅井昭衞(昭衛とも書く)が教祖となって活動を始めた団体です。除名とはその組織・団体の一員ではなくなるということですから、50年も前から故浅井昭衞およびそれに連なる顕正会の会員は日蓮正宗とは一切何の関りもないということなんです。それなのに未だいろいろと遠くで何かおっしゃっているようですね。

全くのお笑いにしかなりませんし、何かを言われたりそのとおりにする筋合いもありません。

市内の顕正会の会館には看板が掲げてありますて、そこにはこう書いてあります。「冨士大石寺顕正会 長岡会館」。本当に紛らわしいといいますか、日蓮正宗の者でない者が総本山大石寺の名前を勝手に使って掲げていますし、富士の字も、日蓮正宗では富士を冨士と書きません。これでは何も知らない人は、顕正会は大石寺と何らかの関係を持っていると誤解されるでしょうし、日蓮正宗の信徒としてもそんな事実はないわけでたいへん困ってしまうのです。

たった看板一つだけとってみても、たくさんの人を惑わし、困らせ、迷惑をかける。顕正会はそういう団体なんです。教義の中身云々以前に、そもそもそんな団体を誰が信用できますか?

日蓮大聖人の正しい教えがわかるのは日蓮正宗だけです。

日蓮正宗の信仰は、悩みを自分の中でどう受け止めて、乗り越えていける自分になれるか・・・またその抱えている悩みを糧として、自分自身をさらに成長させていけるかどうか・・・いうことを教えてくれる信仰です。
抱えている悩みに目を背けるような生き方や、悩みに振り回されて終わる人生に、本当の充実はありません。

悩みや問題に対して自ら挑戦していけるような生き方を教えるのが、この日蓮正宗の信仰です。 

日蓮正宗のお寺は、いま生きている私たちのためのお寺でもあります。

悩みの原因をつきとめ、仏様(御本尊様)の偉大なお力と智慧を授かる道場が日蓮正宗のお寺です。そこにいる住職(僧侶)は仏法的な観点から問題解決に向かってアドアイスをし、正しい道へと導いていく役割を担っています。

あなたも一度お寺にきてみませんか?

「信仰のすゝめ」より

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10/18/2024

柿をいただきました

 一昨日鉢植えのお花をお寺にお持ちしたら柿をいただきました。タイミングがよかったのでしょうか。果物は好きなのでうれしいです。

横浜?神奈川?から送られたもので何という柿でしたか・・・名前をお聞きしたけれども忘れてしまいました。どうも最近物忘れが進行しているようです。何かと忘れしまうことが多いような😓

新潟だと「おけさ柿」は有名ですが全国的にも有名なんでしょうか。この時期スーパーの店頭にもよく並んでいます。新潟生まれで地元なのにあまりよくわからないです。もっと地元のことを知らないとダメですよね。

新潟県の佐渡は大聖人が流罪となられた地。大聖人は流罪となられた佐渡の地で、御書の中でもたいへん重要な「開目抄」「観心本尊抄」をしたためられています。信徒として知らないことが多すぎて、さらに学びに励まねばとあらためて感じているしだいです。

お持ちしたお花の写真は撮り忘れてしまったのでありません。下はいただいた柿の写真です。

どんな味がするのか楽しみです😊



10/14/2024

ブログをはじめました

 はじめまして。

60代になったのを機に、という理由だけでもありませんがブログをはじめました。何を書けばよいのか分からないので、まずは自分のことかなと思いはじめさせていただきます。

実はこの前に少し書きはじめたブログもあったのですが、そちらは今見ることはできません。いわゆるリスタート(re-start)ですね。まあ還暦でもあるので、年齢が一巡してまた初めからのスタートという意味でも、ちょうどいいのではないかと思っています(^^ゞ

ろくでなしの風来坊人生を歩んできました(今でも?)。仕事はこれまで介護の仕事を約20年やってきました。そして勤めていた施設を明日定年退職となります。再雇用とか、そこで働き続けることもできたでしょうけど、その道は選びませんでした。定年退職日以降は無職となるので生活に不安はありますが、きれいさっぱりと再スタートしたいという思いを優先させました。

不思議と今の状態であまり不安を感じていません。これからもいろいろありますが、これも日蓮正宗のお寺で御本尊様への信仰を始めて、そして毎日続けているからなのだろうと感じています。本当にありがたいです。

来月は御会式という大切な行事がありますし、総本山大石寺へお参りにも行きます。

今回は写真もなにもありませんので下のリンク先から大石寺の秋をごらんになっていただけたらと思います。※個人の範囲でごらんください。


続く・・・

霊感商法相談1万件超

数日前の地元新聞紙上に「霊感商法相談1万件超」という記事がありました。 法テラス(日本司法支援センター)という組織には毎月200件前後の相談が寄せられていて、信者または元信者の方、またそのお子さんやお孫さんからも相談が寄せられているそうです。 相談された方の所属する、または被害に...